『日本書紀』創られた日本 28 神代についての話 18です。
追放されたスサノオ
前回までで、スサノオが高天原を追放されるまでを見て来ました。
追放されたスサノオは、出雲の地に降りることになります。
そこで語られるのが、有名なヤマタノオロチ退治の話です。
悪行三昧の末に高天原を追放されたスサノオですが、地上に降り立った途端に英雄的な行動に出るのです。
これにより、大和政権の祖先神たちと同根のスサノオが、出雲王朝の祖として歩みだすことになり、その子孫から国譲りを受けることで大和政権の正統性を示すことになるわけです。
とにかくスサノオは、高天原から追放されなくてはならず、出雲王朝の祖とならなくてはならなかったのです。
そのために、その性格がともすると矛盾して見えるようなものになってしまったのでしょう。
『出雲風土記』のスサノオ
そのヤマタノオロチ退治の話ですが、『出雲風土記』にその話が全く出てこないという気になる点が有ります。
ただし、スサノオ自体は『出雲風土記』に全く出てこないわけでは無く、意宇郡安来郷や飯石郡須佐郷などの地名制定し、自らの御霊を鎮めたとされていて、一部地域の開拓に関する存在として記録されています。
この存在をアマテラスの弟として取り込んだのだと思います。
ヤマタノオロチ退治
では、ヤマタノオロチ退治の話はどうなるのか。
『日本書紀』に「一書曰」という形で、安芸国の可愛之川の上流に降り立ったスサノオが、ヤマタノオロチを退治する、という話が有ります。
この話の原型となるような話があって、それをスサノオを出雲王朝の祖とするための英雄伝として取り込んだのではないかと考えています。
退治を行ったのは、『出雲風土記』に言及がないことから考えても、元々スサノオではなかったのでしょう。
それが、『古事記』の神話の原型となったものに取り込まれた結果、元の話もスサノオによるものになったのではないでしょうか。
元の話が安芸国のものという事ですが、出雲王朝の勢力範囲が古代の行政区分としての出雲国よりも広かったということなのでしょう。
草薙の剣
ヤマタノオロチが退治された時に出て来たのが「草薙の剣」です。
これも、元々の話に在ったものではなく、出雲王朝の権威の象徴として剣が存在したものでしょう。
それを、戦いの終結時に戦利品として入手し、正統性の象徴とするための話として組み入れられたものだと考えます。
そのために、わざわざスサノオが手に入れた上で、アマテラスに献上し、それが天孫降臨により三種の神器の一つとして大和政権に伝わったとする形にしたのです。
この創られたスサノオの神話を基に、各地の話にスサノオが見え隠れするようになったのではないでしょうか。
ではでは