『日本書紀』創られた日本 23 神代についての話 13です。
国譲り
前回は、『記紀』いずれの日本神話にもある、「国譲り」について考えました。
国譲りは、大国主とその子孫が造り上げた国を、高天原の神に譲る、という話になります。
基本的には、東征(東遷)後の出雲王朝との覇権争いを反映した話だと考えています。
この戦いを神話の時代の話とし、さらに国譲りを受けたとことにすることにより、東遷後の出雲王朝との戦いを消し、大和王朝の一貫した統治と正統性を示したのが国譲りの神話ではないかという話でした。
今回は、この点を踏まえた上で、『記紀』における「出雲神話」の有無の違いについて考えて見ます。
『古事記』の場合
『古事記』には出雲神話が有るわけですがその内容は、スサノオの子孫である大国主による国づくりの正統性を描いたものでした。
その国を、高天原の神が譲り受け、天孫降臨を経て神武天皇が引き継ぎ、東征により畿内に移り大和政権につながることにより、大和政権の正統性が示されるという、立て付けになっているわけです。
あくまでも、出雲王朝の存在を認めているという点が、ポイントと言えるでしょう。
そのために、出雲に存在した壮大な出雲大社の由来も説明されており、東遷後に出雲王朝を単純に滅ぼしたのではなかったことも想像されるものとなっています。
『日本書紀』の場合
これまでも書いてきたように、『日本書紀』(本文)には出雲王朝の正統性を示す話はありません。
つまり、言外に出雲王朝には正統性が無いとしているわけです。
加えて、その始祖ともいえるアマテラスについても、高天原から追放された後、ヤマタノオロチを退治し、助けた娘と結婚しますが、子をもうけた後に根の国に去ったことが語られます。
下世話な言い方をするならば、行きずりの恋のような扱いにも見えます。
つまり、罪を犯して追放されたアマテラスとその子孫たちの正統性は示されていないのです。
さらに決定的ともいえるのが、葦原中国の平定を命ずる際のアマテラスの発言です。
「葦原中国の邪鬼を追い払って、平定したいと思っている」という趣旨のことを言っているのです。
イザナギ、イザナミから生まれた姉弟ともいえるスサノオの子孫達を「邪鬼」とまで呼んでいることになります。
出雲王朝を、罪をあがなっていないと断じていると言えるでしょう。
このような出雲王朝から国譲りを受けたというのは、「徳の無い王朝から禅譲をされた」と言い換えることも出来るでしょう。
中国の世界観に合わせる形で、大和政権の正統性を示しているのです。
『日本書紀』が編纂される頃には、出雲王朝の存在を無視出来る状況だったという事になります。
ではでは