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『日本書紀』創られた日本 11 -神代 1-

日本書紀』創られた日本 11 神代についての話 1です。

 

 

神話

 30巻からなる『日本書紀』は、巻1,2の「神代上、下」から始まります。

「神代」すなわち神話の時代の話になります。

神話という事なので、ぶっちゃけその内容に関していえば、なんでもありなんですよね。

本来、正しいとか、間違っているとかいう次元の話ではないわけなんですが、前回の記事で見たように、『古事記』も含めて考えると少し状況が違ってくると思うのです。

 

yokositu.hatenablog.com

前回までで見て来たように、『古事記』は、普通言われているような天武天皇により編纂されたものではなく、物部氏により『日本書紀』より約100年前に形にされたものだと考えています。

そうであるならば、『古事記』に書かれた100年前に流布していたと考えられる神話と『日本書紀』に書かれたそれを比較することにより、大和政権の思惑が見えて来るのではないでしょうか。

古事記』にあって、『日本書紀』に無い話は、大和政権にとって都合の悪い話かもしれません。

古事記』に無くて、『日本書紀』に有る話は、大和政権にとって都合の良い話を付け加えたのかもしれません。

という感じで、『日本書紀』の神代について考えて見たいと思います。

天地開闢

 どちらかに有る無いというだけではなく、大和政権の思惑が透けて見える時も有ります。

日本書紀』も『古事記』も、神話の始めは「天地開闢」から始まっています。

その内容も、大まかには天地が分かれて神々がうまれてくるというものなのですが、その冒頭の部分が少し異なっているのです。

先ず『古事記』では、天地初めて發けし時」と、天と地が分かれたところから始まります。

一方、『日本書紀』本文ではその始まりは、「古天地未剖、陰陽不分」(昔まだ天と地が分かれておらず、陰と陽が分かれておらず )と、天と地が分かれる前から始まっています。

この後の部分ですぐに天と地に分かれる話になるので、それがどうしたという感じですが、実はこの冒頭の部分は、中国前漢の時代に編纂された『淮南子』巻二 俶真訓 に「天地未剖、陰陽未判」(天地未だ剖れず、陰陽未だ判れず)とあるのが典拠になっていると考えられているのです。

つまり、元々の天地開闢の話を、中国の話に寄せる形で創り直しているとも考えられるのです。

このあたりにも、中国に匹敵する歴史のある国として正統性を示したい大和政権の思惑が透けているのではないでしょうか。

中国と世界観を共通している歴史ある国だというわけです。


 若干、重箱の隅をつついている感が無いわけでは無いですが、真実は細部に宿るとも言いますから。


ではでは