柔軟性と老化について考えた話です
柔軟性と体調
TVで身体の柔軟性が低い(いわゆる体が硬いというやつです)と、体調に様々な悪影響が有りますよといった感じの番組を見ました。
体が硬いという事で、足が上がり難くなったり歩幅が狭くなったりして躓き易くなり、とっさの時に体が動かなかったりして転びやすくなり、骨折などに繋がるというのは想像がつく話でした。
体が硬い人は、血管も硬い事が多く、様々な病気のリスクが上がるというのは、チョット意外でしたね。
体が硬いというのは筋肉の話で、血管とは関係がないと思っていましたから。
また、硬い部分の筋肉が使いにくい事から、その他の筋肉に負担がかかり疲れやすくなるとの事。
疲労にも関係があるとは。
歳を取ったから疲れやすくなるという事だけではないようです。
同番組ではその対策として、上のリンク先にも有るような3種類のストレッチが紹介されていました。
時間的にも短くて済みそうなので、チョット良さげでした。
そんな番組を見ながら、硬さと老化の関係について考えたので、今日はその話です。
身体の硬さと老化
体の硬さと老化の関係は、比較的納得できるのではないでしょうか。
究極の若さである赤ん坊は、ビックリするほど柔軟性が有りますよね。
こじつけ気味ですが、生まれてすぐは、首も座らないほどですし。
その後、歳を取るとともに次第に体が硬くなっていくのは、誰しも経験が有るのではないでしょうか。
前屈しても床に手が届かなくなったり、背中で手をつなぐ事が出来なくなったりするようになりますよね。
上でも触れましたが、足が上がらなくなり、何にもない所でつまずくようになったりする訳です。
身体そのものでも、動脈硬化や肝硬変は、文字通り「硬く」なる事ですし、血管の石化なんてのも、石のように「硬く」なるということですよね。
究極の老化ともいえる死を迎えると「死後硬直」が起きるというのは、無理矢理すぎるでしょうか。
思考の硬さと老化
身体と来れば思考(心と言っても良いかもしれません)という事になりますが、こちらはどうでしょうか。
これも、誰しも我が身を振り返ってみれば、子供の頃の好奇心にあふれた柔軟なものから、年を経て経験を積むに従って硬直して行くことに、思い当たることが有るのではないでしょうか。
いつの間にか、柔軟な発想や好奇心は影を潜め、毎日同じような生活を続けるようになる。
その結果、1年があッという間に過ぎてしまう。
ついつい、昔の話が多くなり、新たな事をしようなどとはついぞ考えない。
「石頭」という、まさに「硬い」呼び方もあるじゃないですか。
多少無理は有りますが、認知症は、新たな記憶をすることが出来ずに、過去の記憶に固定されてしまうと考えると、究極の「硬直」という事が出来るのかもしれません。
身体も思考も、次第に「硬く」なっていくのが老化と言えなくもないのでは。
まあ、そんなに簡単なことではないのでしょうが。
身体の硬さはまだ何とかなりそうですが、思考の硬さはどうしたものですかね。
ではでは