横から失礼します

時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

囲碁と将棋(全体像理解阻害編)

囲碁と将棋について考えた話(全体像理解阻害編)です

 

 

中盤の前に

 前回までで、囲碁の序盤についての捉え方と学ぶ方向性については一応終わりました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

yokositu.hatenablog.com

 

今回は本来ならば中盤についてという事になるのですが、その前に、もう一つ考えておきたいことについて書きたいと思います。

前回までの記事に絡んで「布石」、「定石」について調べた訳なんですが、その中で考えた、囲碁の入門者が分からなくなる理由の一つでは無いかと思った点と、それに対して何を学べば良いのかという話になります。

ケイマでシマリにコスミ

 「布石」について調べていると、次のような打ち方が出て来ます。

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引用元:【囲碁の星の基礎】星で隅を守る方法 | いごすけや

これを、言葉で説明すると、「星に、ケイマでシマリを打って、さらにコスミに打った形」とかになり、「星小ゲイマジマリにコスミ」と呼んだりするようです。

その後にありがちな解説が、「これで隅の地(陣地)が確定したので」や「隅が治まりました」と言った感じのもので、さらに「この後、他の隅や辺に向かいます」と続いたりします。

名称が分かっても

 ここで、用語とかは関係なく、石の配置だけを見て納得出来たり、用語の意味を調べて、石の配置と照らし合わすことで納得出来て先に進めれば問題は有りません。

私などは、用語の意味を調べて照らし合わせても、どうしてこの石の配置で地が確定するのかが分からず、気になって先に進めません。

この辺りが、入門レベルの人間には囲碁がとっつきにくいと思う理由の一つではないかと思うのです。

どう見ても、左上の隅の部分には、白が石を打てるところがあるじゃないでか。

それでも、他に回っても大丈夫と考えるのはなぜか、そのあたりをハッキリしたいのです。

なぜ地が確定なのか

 と考えていたら、そのあたりを説明してくれているサイトを見付けました。

それが、上図の引用元のサイトです。

どうして、3つの石だけで左上の隅が地なのかは、その記事を読んで見て下さい。

結論的には、白が打ってきても、双方最善を尽くすと下図のように、白は最終的に全て取られる形になり(死んでいると呼びます)、結果として黒の地になるので、3つの石を打った時点で黒の地とみなすという事なのです。

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引用元:【囲碁の星の基礎】星で隅を守る方法 | いごすけや

理屈は分かったが

 という訳なんですが、まだまだ問題が残ります。

「最善を尽くすと下図のように」、「白は最終的に全て取られる形になり」という部分です。

結局、何が最善か分からないといけないですし、図のようになった時点でなぜ白は取られることになり、その結果黒の地になるのかも分からないといけないのです。

今回のパターンでは、引用元の記事で懇切丁寧に説明されているのでいいのですが(他にも分かり易く説明している記事が多く、このサイトはお勧めです。)、他にも出て来る同様なパターンを全て覚えるというのは、現実的ではありません。

「手筋」と「詰碁」の問題

 そのために考えられたのが、「手筋」と「詰碁」の問題という事のようなのです。

「手筋」の問題は、局所的な最善手を見出せるように(と私は捉えています)、「詰碁」は、取られてしまうかどうか(「死活」と呼びます)を判断出来るように、それぞれ訓練するための問題となります。

しかも、囲碁が、地を作って、その大きさを競うゲームで有る以上、今回のような状況は、序盤、中盤、終盤全てで頻出する事になります。

全体像に基づく勉強のほかに、ベースとなる技能の訓練としての「手筋」と「詰碁」の問題を解くことが必要だという事です。

奇しくも、将棋にも「手筋」と「詰将棋」という、同じような形式のものが存在しており、興味深いところです。


以上、「手筋」と「詰碁」の問題を解くことが重要だという事を、自分に納得させるための話でした。
次回は、本線に戻って、中盤の話のはずです。


ではでは

囲碁と将棋(全体像序盤編その2)

囲碁と将棋について考えた話(全体像序盤編その2)です

 

 

前回の記事では

 前回の記事に続いて、序盤編の続きとなります。

 

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全体像などと大袈裟に書いてますが、実際のところは、ど素人の私が、いまいちよく分からない囲碁の一局を、将棋の一局の進行にな無理矢理なぞらえて、その後の学び方の方向性の基となる骨格のようなものを、考えてみようといった内容になります。

前回の記事では、最初に盤上に何もない所から始まる囲碁の捉え方として、序盤の「布石」を、将棋の「戦法」に初期配置の打ち方を含めたものだと、考えることにすれば良いのでは無いかという話でした。

更に、将棋でも良く推奨されている、得意な「戦法」を一つ持つと良いという考え方に習って、「布石」を一つに絞って、初期配置以降を決め打ちすることにより、序盤の分かり難さを回避しようとも考えました。

今回の話は、その後の部分という事になります。

「戦法」では

 将棋の「戦法」では、どの「戦法」を選んでも、そのベースに、どのような攻め方、守り方で戦っていくのかという方針が有ります。

囲碁の「布石」にも、特に名前がついているようなものには、全く同じように、どのように戦っていくのかというベースとなる方針が有ります。

当然、その方針に従って打った時に目指す、理想的な進行のパターンが有ります。

先ずは、その理想的な進行を、「布石」の基本的な考え方を理解しながら覚えることにします。

「定跡」と「定石」

 将棋の「戦法」にも当然同じように理想の進行が有り、それを「定跡」と呼んでいます。

それに対応するのが、囲碁では「定石」という事になります。

「定石」は全部でいくつあるのか分からない程(今現在も増え続けているので)多いらしいのですが、先ずは、一つに絞った「布石」の理想的な進行に必要な「定石」から覚えていくことにします。

勿論、ただ丸覚えするのではなく、なぜそう打つのかを理解しながら覚えます。

答えから攻める

 ここで理解の方法として、前回の記事でも書いた「答えから攻める」を行います。

例えば、布石の考え方として「一隅、二シマリ、三ヒラキ」というのがあります。

こういったものが出て来た時に、隅だとか、シマリ、ヒラキがどういったものかを確認するだけでなく、なぜそれらを打つのかも調べます。

といった感じで、出来る限り背景となる理屈を遡って、基本的なところから考えるようにします。

そうすることで、一つに絞った「布石」を基に、「布石」と「定石」の考え方を学ぼうという事です。

これで、習熟が進めば、応用も出来るようになるはずです(よね)。

相手の有る事なので

 囲碁は、相手の有るゲームなので、当然理想的な進行になるとは限りません。

むしろ、そうでない場合の方が多い事は、将棋の進行を考えても、容易に想像がつきます。

そのため、「戦法」の「定跡」を勉強していても、変化が沢山出て来ることになります。

「定石」についても、そういった変化を学んでいくことが次のステップという事になります。

キリがないので

 もっとも、変化はこれで終わりという事は無いので、全てを前もって学んでおく事は出来ないと考えられます。

という事で、代表的なものを対象とする訳ですが、その時の考え方としては、一つに絞った「布石」の背後に有る方針に沿った対応を学んでいく事にします。

方針を変更するようなものは、取敢えず無視するという事です。(よく言う、「これも一局」ということになるでしょうか)

そうしないと、いつまでたっても序盤から先に進めないことになってしまいそうです。

一通り打てるようになってから、必要に応じてという事にします。

イメージとしては、一冊の将棋の戦法書を、中盤の戦いが始まる前のところまで習熟するといった感じになるでしょうか。


以上で、序盤編は終了です。
次は中盤という事ですが、将棋でも明確に分かっているとは言い難いのですが、どうなりますことやら。

ではでは

囲碁と将棋(全体像序盤編その1)

囲碁と将棋について考えた話(全体像序盤編その1)です

 

 

囲碁の序盤は布石

 囲碁の序盤は「布石」と呼ばれます。

「布石」という言葉は、「将来のために配置しておく備え」といった意味で、普通に「布石を打つ」というような使い方がされますが、この囲碁用語が元になっているようです(だから、「布石」は「打つ」ものなんですね)。

勿論、囲碁でも「将来のために配置しておく備え」のような捉え方をされているという事になります。

「布石」が終わる段階で、自分が有利になるように、石を配置していくのが「布石」即ち序盤という事になります。

とはいいながら、何が有利なのかが分かっていれば苦労は無く、そもそも何をどうしたらいいのか分かっていないという現実が有ります。

将棋の序盤は戦法

 分からないと言うばかりでは先へ進まないので、将棋の方から考えてみます。

将棋も実は初期配置が決まっていて、制限が有るとはいえ、どの駒を動かすかは自由です。

しかし、一般的に序盤は、「四間飛車」や「矢倉」などのいわゆる「戦法」に従って駒を動かします。

「戦法」とは、長い年月の中で作り上げられてきた、有効な攻めおよび守りの手順や陣形のセットと言えます。

つまり、「布石」だと言う事が出来そうです

という事で、囲碁も同じように考えれば、良いのではないかと思うのです。

囲碁には初期配置が無い

 ところで、将棋では下図のように、駒の配置が決まっています。

 

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引用元:将棋の駒の初期配置と並べ順|将棋ルール.com - 将棋のルールから覚える初心者向け入門サイト

 

それに対して、囲碁では、配置も何も全く何もない状況から対戦が始まります。

そのため、初手からどうしたらいいのか分からない、という悩みにもなるのですが。

次に、囲碁の開始から六手進んだ盤面の一例を見てもらいます。

 

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引用元:布石(ふせき)の意味|やさしい囲碁入門講座 - 囲碁ルール解説サイト

 

この状態で、ざっくりと右側が黒の領域、左が白の領域と考えれば、上下と左右の違いは有りますが、将棋と同じように考えられそうでないでしょうか(上下になる様に並べるのも可能です)。

「布石」を、初期配置も含めた「戦法」だと考えれば良さそうです。

一つに絞る

 将棋では、初心者向けの教え方として、「戦法」を一つに決めるという事がしばしば推奨されます。

囲碁でも同じように、最初は「布石」を一つに絞ることにします。

どう打てばいいのか考えるのではなく、決め打ちから入りましょう、という訳です。

こうする事で、囲碁が分かりにくい原因の一つである、「どこに打ったら良いかわからない」問題を、ある程度避けて通ることが出来そうです。

有名どころから選ぶ

 開始時点から、どのように石を並べても、全て「布石」と呼ばれますが、将棋の「戦法」のように、有効と考えられるものには、名前のついたものが有ります。

「二連星」、「中国流」、「秀策流」といったものです。

一つ選択するにあたって、名前の付いたものの中から選ぶことにします。

ちなみに、上図の「布石」には「三連星」という名称がついています。

黒では「黒い三連星」になる訳で、強そうじゃないですか。

冗談はさておき、この時に、好みに合わせて何を選んでも良いわけですが、出来れば有名どころの中から選らんだ方が、有名な分世間に出回っている情報量が多いので、なにかと都合がいいんじゃないかという事です。

答えから攻める

 「布石」を一つに絞って初手から決め打ちをしたら良いんじゃないかという話でしたが、決してその打ち方を丸暗記するという意味ではありません。

そんなことをしても、対戦相手が、こちらが覚えた手以外の打ち方をしてきた時に、対応が出来ないことになってしまいます。

考え方としては、受験勉強などで言われる、「答えから攻める」という事をやるのです。

実際の「布石」の各打手から逆に、その背景に有る考え方を理解していくようにするのです。
「三連星」であれば、初手に対して、「どうして星から打つのか」を調べ、理解するといった感じです。

理屈から答えを考え出すよりも、答えから理屈を理解する様にすれば、効率的だという事です。


 思いのほか長くなってしまいました。
という訳で、次回も序盤が続きます。


ではでは

 

前の記事

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囲碁と将棋(全体像導入編)

囲碁と将棋について考えた話(全体像導入編)です

 

 

前回までの囲碁の話

 前回まで、四回に渡って、TVで見たらチンプンカンプンだった、から始まった囲碁の話を書いて来ました。

 

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結局最後は、特に全体像が把握し易い入門編を、誰か分かる人が作ってくれないかなあという、このブログで良くありがちな他人任せというオチでした。

とはいいながら、記事を書いているうちに、将棋に絡めて全体像を考えてはどうだろう、というものがぼんやりと浮かんで来ているので、それをハッキリさせることにお付き合い願おうという趣向になります。

将棋は多少分かる

 将棋に関しては、全体像らしきものについて、囲碁よりは多少知っているつもりでいます(正解かどうかは分かりませんが、自分が納得出来れば良いと思っています)。

まあ、その全体像に従って実戦を行おうにも、それを支えるはずの技術が全くダメで、とんだヘボ将棋な訳ですが。

そんな中、今回囲碁について、色々と調べているうちに、いくつかのことが、将棋になぞらえると分ったような気になると思ったのが取っ掛かりになります。

それならば、囲碁を無理矢理将棋に寄せて理解してみたら、全体像が多少分かるのではないかと思ったのです。

似た用語が多い

 囲碁と将棋には、意外と字面または読みが似ている用語が多いという事が有ります。

実戦を行う事を、囲碁でも将棋でも共に、「対局」と言いますし、それぞれの実戦を「一局」と呼ぶのも共通です。

「一局」を「序盤、中盤、終盤」と分けて捉えるというのも同じです。

囲碁には「定石」というものがありますが、将棋には「定跡」が有ります。
読みはいずれも「じょうせき」になります。

次に、どちらにも「手筋」が有ります。

「詰碁」と「詰将棋」という、いずれも「詰」を冠した用語が有ります。

将棋の「寄せ」に対しては、囲碁では何故かカタカナの「ヨセ」となります。

意味するところも似ているので

 しかもこれらの用語は、当然細かい意味は異なっているものの、大まかには似た内容を表しています。

例えば、将棋の「桂馬」と囲碁の「ケイマ」という用語が有ります。

将棋の「桂馬」は駒の名前ですが、囲碁の「ケイマ」は、将棋の「桂馬」の動き方そのものを指しているといった感じです。

こう見て来ると、極々大雑把に言って、囲碁も将棋も、それぞれの用語に関する内容を、部分的に同じような捉え方をして来ているように見えます。

であれば、その集合体としての全体像も、似た解釈でいいのでは無いかと思うのです。


 という訳で、次回は「序盤」について考えてみたいと思います。


ではでは

囲碁について(理路整然編)

ど素人が囲碁について考えた話(理路整然編)です

 

 

囲碁は芸術

 前回の話は、実は囲碁は芸術ではないかというものでした。

そのため、ど素人から見ると、その説明が初心者に対して厳しいんじゃないかと思えるものも、芸術であるために、そもそも全てを言語化する事が困難であることが原因ではないかというものでした。

 

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理屈先行の芸術オンチの私としては、囲碁は向いていないかなというところなのですが、それで終わるのも面白くないので、もう少し理屈をこねてみようというのが今回の話になります。

囲碁は芸術だとしても

 前回の話では、囲碁AIが、絵や音楽などの感覚的でアートなジャンルが得意なディープラーニングにより強くなったことから、囲碁もその本質は、芸術なのではないかと考えました。

前回の話で引用した記事の筆者(プロ棋士七段だそうです)は、そこから、囲碁を感覚的にとらえることで、人間にも可能性が開けているのではないかという意見のようです。

私は、同じ話から、論理でのみ動くコンピューターが、人間よりも強くなった訳ですから、理屈を積み上げていく先にも可能性が有るのではないかと思ったのです。

一見すると、全く相反した結論のようにも思えますが、私的には、ゴールへ至る道がいくつかあるという事なのでは無いかと思っています。

理屈先行も出来る入門編

 という訳で、理詰めで納得しながら学べる、こんな入門編が有ったらと思うのですが。

まず、基本のルールを説明します。

その次に、すぐに実戦譜の説明に入ります。

囲碁一局を提示した上で、その過程で現れる各論に入って行けば、何を何のために学ぶのかが、分かり易いのでは無いかという、考え方です。

各論から積み上げるのではなく、全体像から始めて、各論に細分化して行くという事にすれば、最終的な形を考えなくていいという訳です。

前回と同様に、絵画で考えてみると、作品を決めて模写をするという事になるでしょうか。

その上で、各論を出来る限り、理論的に掘り下げていけば、完全とは言わないまでも、かなりの程度理路整然としたものが出来るのではないでしょうか。

模写で例えると、とにかく模写をするという事では無く、その過程で、色使い、筆使い、構図等々の各論を学びながら、模写をする事にするわけです。

一手毎に

 全体像としての一局を提示する訳ですが、基本的に一手毎に説明を入れます。

何を狙った手なのか、用語も交えて説明します。

例えば、「一手目:黒は右上隅の星に打ちます。」というような感じにします。

そして、WEB上ならば、右上隅、星の部分を、それぞれの説明へのリンクにすれば良いですし、書籍ならば、後方に説明を纏めるようにします。

このようにして最後まで説明していくのですが、こうする事により、感覚的に分かる人などは、各論まで確認しに行かなくても、この部分だけで納得することも有るでしょう。

私のように、いちいち理屈をこねて納得したい人間は、必要に応じて各論をたどれば良いわけです。

まず全体像が分かる

 何れにしても、最後まで行けば、囲碁で何をどのように行うのかの全体像が分かる事が期待できると思うのです。

しかも、上手く作れば、その時点で、布石を一つと、いくつかの定石、手筋、死活と詰碁、ヨセ等(ほかにも重要な各論が有るかと思うのですが、私の付焼刃の理解度はこの程度です)についてもある程度分かる事になります。

しかも、各論が個別にではなく、全体像の中で位置付けられて理解出来るのです。

要は、何が分からないかが分かる様になるのです。

もっとも、知っているからといって、実際に使えるかどうかは別でしょうけど、初心者としては結構なレベルと言えるのではないでしょうか

その後は、実戦を行っても良いですし、各論を深堀しても良い事になります。


プロの皆さんの力で作ってもらって、日本棋院のホームページ辺りに載せてもらえば、興味を持ったのに、入門の部分で分からなくて止めてしまうのを、減らすことが出来るのではないかと思うのですが。


 最後は、このブログではありがちな、人任せパターンでした。
次回から理路整然と実践編に突入する、事は有りませんので悪しからず。


ではでは

囲碁について(琴棋書画編)

ど素人が囲碁について考えた話(琴棋書画編)です

 

 

身勝手な考え

 前回の話は、ど素人が、囲碁の教え方について、もうチョット言語化して、分かり易く言うとかみ砕いて、教えてくれても良いんじゃないかと、身勝手な話をするというものでした。

 

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しかし、どうやらそれは、全くの見当違いだったかもしれない、というのが今回の記事のポイントになります。

面白い記事

 身勝手な思いと共に色々なサイトを渡り歩いていたところ、面白い記事に行き当たりました。

チョット長くなりますが、引用します。

囲碁AIがアートな理由

思えば、私が囲碁はアートだと再認識したきっかけは、囲碁AIでした。これまでの囲碁AIは、どちらが勝っているかをゲームの途中で判断するのが難しいために、なかなか強くなりませんでしたが、ディープラーニングを導入したことで、この課題を解決するに至りました。

ディープラーニングが得意なのは「画像を認識する」というもの。囲碁の場合も例外でなく、棋譜をまるでQRコードのように、そして大量(アルファ碁の場合は数千万局)に学習し、局面の特徴を捉えられるようになりました。それにより、ゲームの途中でもどちらが勝っているかを判断できるようになったのです。ほかの分野でも、絵がかけたり作曲ができたり……人間の特権だと思っていた感覚的でアートなジャンルがディープラーニングは得意です。

引用元:| 日興フロッギー

 

琴棋書画

 引用元の記事でも触れられていますが、古来「琴棋書画(きんきしょが)」という言い方が有ります。

それぞれ「琴=音楽」「棋=囲碁」「書=書芸」「画=絵画」を示しています。

文人が嗜むべき4つのものを表しており、四芸とも言われています。

昔から言葉としては知っていましたが、四芸については、文人も学問だけでなく、色々出来た方がいいよぐらいに考えていました。

ところが、上の引用を踏まえると、四芸は、四つの芸術という意味をもっていることになりそうです。

そうなのです、囲碁も芸術という事になります。

そう考えれば、様々なことが腑に落ちそうです。

芸術であれば

 芸術という事であれば、ゴールの形が明示されていないのは当たり前という事になります。

芸術作品を生み出すという目的は有っても、では何が芸術かと言われれば、明確にこれだというものを明示するのは難しいという訳です。

詰碁や手筋といったものについても、例えば絵画で考えてみると、デッサン、絵の具の使い方、筆遣いといった個別のテクニックに対応すると考える事が出来そうです。

それら、個別のテクニックについては、具体的に説明出来ても、それらを使う事と、どういう絵を書くのかは別の事なのは明らかです。

しかも、その結果としての絵については、説明出来そうで、出来なかったりします。

棋譜並べについても、同様に考えると、絵画における模写に相当するという事になるでしょうか。

怠ったのではなく出来なかった

 囲碁についても、各々の人が、こういうものだと分かっていても、それを言語化出来なかったのでは無いでしょうか。

大上段に振りかぶった言い方をすれば、言葉にしにくいものを表現するのが芸術という事です。

先達たちが言語化を怠っていたのではなく、囲碁も他の芸術のように、いわく言い難いものであったのです。

ということは、何をどう作るのかを決めるのは、自分だという事になりそうです。


 理屈先行型の芸術オンチの私としては、困った結論になりましたが、爆発する琴棋書画と共に、次回に続きます。


ではでは

囲碁について(曖昧模糊編)

ど素人が囲碁について考えた話(曖昧模糊編)です

 

 

五里霧中の中にも

 前回の記事は、いい年になって囲碁に取り組んでみたら、さっぱり意味が分からなくて、五里霧中だという話でした。

 

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その後も、色々な情報を、あちらを少しこちらを少しと、分らないままにカジリ散らしていたのですが、その中でなぜわからないかが、少し見えてきたような気がしてきました。

どうも囲碁に関しては、言語化があまりされていないのではないかと思うのです。

用語は多いが

 とは言っても、囲碁を知っている方は、何をバカなことを、用語は多いじゃないか、と考える方もおられるでしょう。

確かに、囲碁に関する用語の数は多いです。

例えば、同じ色の石が2つ並んでいる形に対して、周りの状況によって、チョット思いつくだけでも、ナラビ、ノビ、オシ、ヒキ、サガリ、と様々な呼び名がついています。

実際には、まだまだ色々ありますが、私の知識が追い付いていっていません。

将棋と違って、白黒の2種類しかないので、その並び方に対して細かく名前をつけることで、似たような状況の識別をする時に、効率よく出来るという事なのだと思います。

2つの石のような単純な形では、上手くいっていると思うのですが、より複雑な状況を示すときに、言語化が不足しているのでは無いかと思うのです。

複雑な状況

 勿論、それら複雑な形にも名前はついています。

例えば、形、模様、外勢、壁、厚み、などなど他にも多々あります。

これらについても、それぞれ説明が有るのですが、これが一向に要領を得ないような気がするのです。

例えば、形ですが、これは一応ある程度の数の石の並びに対して、形が良い、形が悪い、などと使うのですが、その基準に関しては、曖昧模糊としているように感じられるのです。

説明を読んでいくと、いくつかの例が示され、経験を積むことで、良し悪しの判断が出来るようになります、といったことになることが多いような気がします。

これは、経験を積んで、そのあたりが分かっている人間同士にとっては、形が良い悪いという一言で、状況を共有出来るという事で、分からない人間に客観的に説明出来るようには、言語化がされていないでは無いかと思うのです。

その他の用語も多くは、分っている者同士の認識の一致を助けるためのものと考えると、その説明が、初心者に対する説明になっていない感じが、腑に落ちるのです。
だからと言って、分かっていない私には、やっぱり分からないという事になるのですが。

棋譜並べ」

 他にも、言語化があまりされていないという事を示す一例として、初心者の勉強法に「棋譜並べ」がよく勧められる事も挙げられます。

棋譜並べ」はプロ棋士の勝負や、過去の名人の勝負を、記録に従って、そのまま並べていくというものです。

特に初心者の内は、分かっても分からなくても、ただ並べるのです。

そのうちに、「囲碁の打ち方」が分かる様になる、とか書いてあります。

理屈ではなく、分るものだと考えられているのです。


チョット初心者に優しくないんじゃないかと思うのですが。
曖昧模糊とした気持ちと共に、次回に続きます。


ではでは

囲碁について(五里霧中編)

ど素人が囲碁について考えた話(五里霧中編)です

 

 

囲碁の対局番組

 過日、漫然とチャンネルを変えていたら、囲碁の対局を放送していました。

いつもは、昼にやっている、NHK杯テレビ囲碁トーナメントが、オリンピック放送の影響で夜にズレたもののようでした。

で、何とはなしに見ていたのですが、まぁこれが分からない。

普通、30分近く見ていれば、どんな分野でも何をやっているかぐらいは、なんとなく分かるものだと思っていたのですが。

勿論、白黒の石を交互に打っていることは、見ればわかります。

それが、いくら見ても、やっていることが、何を意図しているかが分からないのです。

衝撃的に分からない

 途中で、プロ棋士による解説が入るのですが、聞いてもさっぱり分からない。

そして極めつけは、一方の棋士が負けを認めて試合が終了したのですが、その盤面を見てもどうして負けを認めたのか、はたまた、それが黒白どちらなのかすら分から無いのです。

昔から囲碁は気にはなっていたのです。

今でこそPCを使って簡単に出来るようにはなりましたが、以前は始めるのに若干敷居が高いし、周りにやっている人もいなかったのという事も有って、横目で見るともなく見るといった感じでこの年まで来てしまいました。

それが、いざ正面から見てみると、全くと言っていいほど、訳が分からないのです。

これはチョット衝撃的でした。

将棋も初心者だが

 将棋についても、入門的な内容を一通り理解した程度の知識しかありませんが、同じようにNHKで放送されているトーナメントを見ても、少なくとも、全く分からないという事は無いです。

さすがに、個々の指し手の意図が分かる訳では無いですが、解説を見れば、多少は理解出来ますし、目標が王将だという事は明白ですから。

もっとも将棋でも、プロなどの試合では、どうしてそれで負けを認めるのか分からないといった事は、無いでは無いですが。

調べてみた

 という訳で、ここまで分らないままなのも癪なので、ネットでいくつか囲碁の入門編を載せているサイトで調べてみました。

幾つか見てみたのですが、基本的には入門編なので、まずルールの説明が有ります。

囲碁の最低限必要なルールは、なんと4つだけでした。

1.交点に打つ(基本的に、どこに打っても良い)
2.黒と白が交互に1手ずつ打つ
3.石から出ている線を全て囲むと取れる
4.石で陣地を囲み、多い方が勝ち

で、それぞれの内容について説明が有る事になります。

まあ、1と2についは、それ以上説明の必要も無いので、3に関連する話が続くことが多いです。

どうやったら、相手の石を囲むことが出来るかとか、それに関連して打てない場合も有るとか言った話になる訳です。

以上が分かれば、理屈の上では、囲碁が始められます。

といわれても、というのが正直なところでは無いでしょうか。

ネット上にも、どこに打っても良いと言われても、何をどうすればいいのかわからない、というような意見が散見されます。

勝つための考え方が分からない

 4に関する、どうやって陣地を囲むのかと言った話は何時まで経っても出て来ません。

将棋だと、最後は王将を追い詰めた状態に持ち込めば勝ちとなるので、その練習法として詰将棋というものがあったりします。

と思っていたら、碁にも、詰碁というものが有るじゃないですか。

では、詰碁を解けば、勝ったという状態になるのかと言えば、そうでは無いのです。

詰碁は、主に3に関わるもので、どうやったら取れるのか、取られずに済むのかを考えるものになります。

どうやら、目指すべき陣地の形とか、こうやったら多く囲んで勝ちになるとかいったものは無いようなのです。

少なくとも、これまでの所見つけられずにいます。


という訳で、囲碁のゴールへ至る道筋が、五里霧中なまま次回へ続きます。


ではでは

特に鳥の季節という訳ではありませんが(解答編)

大人の自由研究第三弾(解答編)の話です

 

 

疑問編

 前回の疑問編では、なぜ日の出と共に鳥の活動が活発になるのかについて、考えてみました。

その原因として、鳥目だから、単に明るくなったから、直接日光が見えるようになるから、と3つの仮説について考えて見ましたが、いずれも原因としては不十分でした。

 

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第三弾にして初めて答えと思われるものにたどり着きました。

それは鳥目について調べている時に分かった、鳥の眼が持つ、人間にはない機能に関係します。

鳥の眼と紫外線

 前回の記事でも書いたように、鳥が鳥目だというのは、トンでもない勘違いでした。

それどころか、人間には見る事の出来ない、紫外線も見ることが出来るようです。

そのため、人間の目には

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引用元:鳥には世界がどう見えている? 人間にはない驚きの眼の機能 - ログミーBiz

 

のように見えている鳥も、同じ鳥からは

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引用元:同上

のように、鮮やかにみえているらしいです。

どうやら、この紫外線がカギを握っているのではないかというのが、今回の記事のポイントになります。

朝焼けが赤いのは

 さて、これも前回の記事でも出て来ましたし、誰でも知っていることですが、夜明けは日の出で突然明るくはなりません。

朝焼けという言葉もある様に、日の出前に東の空が、夕焼けのように、赤っぽい色に染まることとから始まります。

この現象については、波長の長い赤色系の光よりも、波長の短い青色系の光の方が、大気中の微粒子によって散乱し易い事に拠ります。

その為、地平線や水平線の下から反射などしてやって来る、直接光よりはるかに少ない光の、青色系の部分が散乱してしまい、我々の目に届くころには、赤色系の光しか残っていないので、赤っぽく見えるという事になります。

そして日の出後には、直接光になり光量が上がるため、青色系の光は一部は散乱しますが、目に届くまでに無くなってしまうというような事は起こらず、いつも我々が見ている太陽光になるという訳です。

紫外線と日の出

 さて、今回注目している紫外線は、紫の外の線というぐらいですから青色系の光よりも波長が短い光という事になります、そして青色系の光と同じように散乱します。

それどころか、可視光よりも散乱し易いようです。

従って、紫外線は、日の出を境に、光量が急激に増加すると考えられます。

日の出により紫外線が増えてても、我々人間には分からないのですが、鳥にとっては明るくなったという事になり、その結果活動が増えたと考えることが出来そうです。

又、曇りや雨の日にも日焼けをすることからわかる様に、天気に関係なく、紫外線は地上に届きます。

よって、曇りや雨の日にも、日の出が分かるという事になると考えられます。

前回の記事で否定した、明るくなったから動き出したという仮説は、紫外線で考えると正しかったという事になります。


 大人の自由研究も、3つ目にして、初めて答えが出たと思っているのですが、今のところ裏は取れていません。


ではでは

特に鳥の季節という訳ではありませんが(疑問編)

大人の自由研究第三弾の話(疑問編)です

 


大人の自由研究第三弾

 これまで、ハエとセミについて、大人の自由研究をしてきました。

 

yokositu.hatenablog.com 

yokositu.hatenablog.com

 

まあ、研究というよりは、疑問なことをチョット調べて書いて見たといった程度ものですが。

しかも、結論は良く分からないという。

今回は、その第三弾、鳥についてです。

鳥と日の出の関係

 と言っても、もちろん夏だからといって、鳥と特別な関係が有る訳では無いのですが、大人の自由研究にかこつけて、以前からチョット気になっていたことを、改めて調べてみましたという事になります。

そのチョット気になっていたのは、鳥と日の出の関係についてです。

夏の今は、日の出の時間が早くて、その時間に起きているという事は普通はありませんが、日の出の時間が遅くなる冬の時期などには、その時間に起きている事が多くなります。

そんな時に。気になったのが、鳥です。

どうも、日の出の時間になると、鳥が動き出しているようなのです。

それまで静かだった周辺が、明らかに急に騒がしくなります。

鳥目だから?

 理由として最初に考えたのは、鳥目だからというものです。

鳥目というのは夜盲症の俗称ですから、夜は見えないまたは見えにくという症状を指します。

鳥の目というからには、鳥もそうなのだろうと一般には考えられていると思います。

なので、夜の間見えにくかったものが、日の出以降になれば、見えるようになって、活動が活発になるのではないかという事です。

しかし、残念ながら鳥は一般的に鳥目すなわち、夜に見えなくなるということはありません。

これは、チョット考えれば、夜行性の鳥もいたりするので、そんなはずはない事が分かります。

どうやら、身近にいるニワトリが夜はほとんど見えなくなることから、言われるようになったようです。

直接日光を感じている

 二つ目の仮説は、頭を出した太陽からの日光を、直接感じているのではないかというものです。

しかしながら、地平線や水平線などの日の出が直接見える場所であれば違うかもしれませんが、我が家の有る場所からは、直接見える事は有りません。

それに加えて、曇りや雨の日でも、鳥の動きは変わらず活発になるのです。

さすがに、雨の日は、そうでない日に比べてその程度は小さくなりますが。

明らかに、直接日の光を見ているからではなさそうです。

明るくなったから?

 三つ目の仮説は、もっと単純に考えて、単に明るくなったから動き始めたんじゃないかというものです。

しかし、日の出の時間に起きていればすぐにわかる事ですが、その時間に急に明るくなるという事は有りません。

古来、あかつき、しののめ、あけぼのと言った言葉が有る事からも分かる様に、日の出前から次第に明るくなっていくものです。

日の出の時間になったからといって、それが分かるほどの変化はありません。

これも結論は出ずか?

 という訳で、第一、二弾に続いて、第三弾も結論出ずになりそうな雰囲気が濃厚でした。

が、今回は、本人的にはこれが答えでは無いかという仮説にたどり着きました。

という訳で、次回は、私なりの解答編です。


 最近、話の引っ張り方がワンパターン化しているような気もしますが、おそらく気のせいです。


ではでは

ハエの季節となりました

ハエについて考えた話です。

 

 

ハエの季節になりました

 今年も暖かくというか、猛烈な暑さの季節となりました。

こうなると、いつものようにハエもやって来るわけです。

さすがに、昔のように飛びまわているという事も無くなり、蝿帳などを使う事は無いのですが。

それでも、食事を作っていると、気が付くと一匹か二匹が、周りを飛び回っているという事があります。

今年も来るようになったなと思っていたのですが、先日有る事に気が付きました。

それは、ハエのやって来るのに、パターンが有るのではないかという事です。

ひょっとしたら、作っている食事の内容と関係が有るのでは無いかと思ったのです。

こんな食べ物が好きです

 私自身は、魚は全般的に比較的好きな方なのですが、特に好きなのが、アジの開き等の、干物のように加工したものが好きです。

そんな中でも、最近はまっているのが、煮干しです。

それで取ったダシももちろん嫌いでは無いですが、特に電子レンジでチンして食べるのが好きなのです。

チンするだけなので、比較的手軽な干物等に比べても、さらにお手軽という事で、まあまあの頻度で食べることになったりしています。

煮干しをチンするとやって来る

 どうやら、ふと気が付くと、この煮干しをチンした日にだけ、ハエがやって来ているような気がしたのです。

確かに、煮干しをチンすると、その香りはかなりのものが有ります。

その日は、寝るころになっても、キッチンに匂いが残っているほどです。

それに引き付けられてやって来るという事なのでしょうか。

これは、調べてみるのも面白そうです。

少しだけ調べてみました

 という事で、本当にそうなのか少しだけ調べてみました。

先ず、大前提として、ハエのやって来るのは、ほぼ夕飯の準備をしている時だけというのが有ります。

これについては、活動する時間帯が有るのか、昼間は暑すぎるのかのどちらかなのかなと思っていました。

ただし、煮干しのチンとの関係で考えてみると、昼食に作ったことはほとんどないという事実も有ります。

ひょっとしたらと思い、昼にも作ってみました。

結果は、今のところ2日しかやっていないですが、両日ともハエはやって来ませんでした。

さて夕方の方はというと、過去一週間で、4日間作ったのですが(結構病みつきなのです)、そのうち3日にやってきました。

残りの3日は、予想通りにやってこないという結果になりました。

これは決まりでは無いかという気もするのですが、1日こなかったことや、その他に作ったものとの関係については、残念ながら、今のところはっきりとはしません。

一応の結論

 我が家の近所には、煮干しチンの匂いに引き付けられるハエがいることが示唆された

 


 世間は夏休みという事で、大人の自由研究もどきでした。

 


ではでは

最近気が付いたこと

最近気が付いたことの話です

 

 

瞑想をやっています

 以前に、仏教について記事を書きました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

その時に色々と調べた事も有って、それ以降、瞑想の真似事みたいなことをやる様になりました。

と言っても、やったりやらなかったりの、トンだ生臭なのですが。

そんな瞑想ですが、すこし前にやっている時に、アレッと思う事が有ったのです。

アレッと思った事

 ご存知のように、瞑想では、なるべく何も考えない状態を目指します。

以前の記事でも出て来た、「定」の状態です。

とは言っても、勿論そんな状態には程遠く、瞑想をやっているほとんどの時間、何かを思い浮かべているというのが、本当の所なんですが。

それでも、考えていることに気が付いて、また呼吸に集中しようと努力する訳です。

その流れのひとつで、アレッと思ったのです。

考える時に、左から見て考えているなと。

左から考える

 目を閉じて瞑想をしているのですが、その時に何かを考え始めると、その内容を映像で見ているような感じになります。

その時に、その映像を、左から見ているような感じなのです。

映画館で例えると、スクリーンに向かって、左半分の何処かの座席から見ているような感じなのです。

右から見ようと思えば見られるのですが、意識しないとその状態を維持するのが難しいのです。

視線と嘘

 面白いなと思って、チョット調べてみたのですが、そのものズバリの情報には行き当たりませんでした。

タダ、少し関係が有るかなと思ったのが、「視線で嘘を見抜く」という話です。

人は、記憶を思い出している時にはその人から見て左上を、記憶にない事を想像している時には右上を見る、らしいのです。

そのため、右上を見ている時には、嘘をつくために考えを巡らしている可能性が高いという訳です。

なるほどと思って、確認してみたのですが、瞑想中に過去の事を思い出しても(もはや瞑想では無い気もしますが)、右側から見るような事はないようです。


今回の話に特に結論やオチは有りません。


 コロナワクチンを打った箇所の痛みのせいで、腕の可動範囲が非常に狭い状態なので、今回はこの辺で。
ワクチンが早く早く行き渡って、コロナが下火になることを願うばかりです。


ではでは

せっかくテレビが有るのだから

テレビの利用方法を考えてみた話です

 

 

最近のテレビ

 最近は、テレビを持っていないという人が、特に若い人を中心に増えてきているようですが、まだまだ多くの家庭に有る事は間違いないでしょう。

特に高齢者の家には有るはずです。

ただ有るだけではなく、地デジと液晶の時代になって以降は、最低でもハイビジョンの解像度は有る訳ですし、大きさも32インチが普通で、50インチ前後が当然のようになって来ています。

ブラウン管の時代からは、隔世の感が有ります。

これを、情報機器の表示用として使わない手はないと思うのです。

インターネット接続

 当然そういった事は誰でも考えるわけで、アップルのApple TV、アマゾンのFire TV Stick、GoogleのChromecast等の、テレビに繋いで使うタイプのものや、アンドロイドテレビのように内蔵したタイプの物などの、インターネットに繋ぐための機器が発売されています。

しかし、いずれも基本的に、YouTubeを始めとする配信動画や音楽を楽しむのがメインの機能で、テレビのチャンネルが増えたのと、さして変わりがない使い方が前面に押し出されています。

とはいえ、それぞれにブラウザの機能もあるようなので、あとは、Webカメラとマイクの機能を装備したらどうかと思うのです。

そうすることで、TVの画面上で、LINE、Twitterに加えて、Zoom等の機能も使えるようになります。

インターフェースを単純にすれば

 その上で、これらの機能を、リモコンからすべて使えるようなインターフェースにするのです。
具体的には、数字、方向、決定のキーだけで使えるようにすることを目指します。
日本語の入力も、ソフトウエアキーボードを上手く作れば、それなりになんとかなるはずです。

スマートフォンを使いこなすのが困難な高齢者でも、テレビのリモコンなら使えるはずです。
それすらも理解できないというのは、また別の話です。

そうなれば、Zoom、LINE、Twitterなどで、離れた場所に住む子供や孫などと気軽にやり取りが出来るようになります。

これらの機能を使った見守りのサービスなども可能でしょう。

オンラインショッピングも、ショップ側のアイデア次第で、いくらでも便利なものに出来そうです。

また、行政的にも、日常的に情報を流して、使ってもらうようにしておき、今回のワクチン接種の予約なども、その情報の中の一つとしてアクセス出来るように設計すれば、利用してもらえるものになりそうです。

上手くいけば、昨今のワクチン予約での、電話回線のパンクや、スマホで予約するのを代行するための窓口といった笑えない状況を、回避出来るかもしれません。

それはPCであってPCでない

ここまで読んで、現状販売されているPCでも出来るんじゃないかと思った人もいるかと思いますが、まったくその通りです。

プログラムさえ作れば、既存のPC、Webカメラ、マイクを使っても同じことが出来ます。

それを、パッケージとして誰でも簡単にテレビに繋げばいいだけにするというのが、この話のミソなのです。

スマートフォンやコンピュータというなにか小難しいものを使うという事は覆い隠して、テレビの機能の延長で、リモコンを操作すれば出来ると思わせることが大切です。

市場は有る

高齢者が使う事になれば、市場としては結構有望だと思うのですが。

先ずは、孫と簡単に顔を合わせることが出来るというところから訴求してはどうでしょう。

より若い層に関しても、そのまま使っても良いわけですし、別のインターフェイスに切り替えられるようにしても良いわけですから、テレワークも有る事ですし、当然動画も見れますし、結構いけるのではないかと思うのですが。

勿論、生徒、学生が、オンラインで学習するのにも使えるはずです。

大袈裟に言えば、テレビの数だけ売れる、かもしれません。

 中身はPCな訳ですから、その関連のメーカーの皆様どんなものでしょうか。
また、TVメーカーとしても悪い話では無いと思うのですが。


ではでは

都市ガスとプロパンガス

都市ガスとプロパンガスについて考えた話です

 

 

メタンガスがらみで

 前回の記事で、サツマイモのエネルギー源化がらみでメタンガスの話を書きました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

その中で、試験的なメタンガスの導入に関しては、都市ガスのインフラに組み込むよりも、プロパンガスのようにボンベで供給する方法を取る方が、簡便でいいのではないかと考えました。

そのための下調べをしている中で、当然、都市ガスとプロパンガスに関しても調べることになりました。

個人的には、実家も都市ガスでしたし、それ以降現在に至るまで都市ガスしか使った事が無いので、正直なところ、これまでプロパンガスについて考えたことはほとんど無いですが、
調べてみて、実はプロパンガスが非常時対策としていいのではないかと思ったのです。

都市ガスは復旧が遅い

 我が家は、都市ガスが止まる事を想定して、カセットコンロとボンベ(ブタンガスですね)をストックしています。

しかしながら、首都直下などの大地震では、都市ガスの復旧には月単位の期間がかかると想定されています。

例えば、内閣府の想定では、首都直下型地震後のガスの復旧は、約55日を想定している様です。

勿論、全ての家庭で55日間ガスが止まるという訳では無く、ほぼ100%復旧するのにかかる期間なので、場所によっては早期に復旧することも考えられます。

それにしても、多くはある程度の日数を覚悟しなければならない訳です。

そうすると、カセットボンベでその日数に対応するのは、心許ない事になります。

だいたい、お風呂は全く対応出来ないですからね。

プロパンガスなら比較的容易に

 そういう点から考えると、プロパンガスは、常用するボンベの数を増やせば、月単位での備蓄も比較敵容易に出来そうですよね。

加えて、地中のパイプなどの耐震化などを考えなくても済みます。

災害発生時には、地上の設備を点検するだけでいい事になります。

もっとも、そうだからといって、現状の都市ガスをいきなりやめて、全てプロパンガスにするというのは、現実には不可能でしょう。

少し考えただけでも、関連して働いている人をどうするのかとか、インフラを全て捨て去るのか、各家庭の機器の取り換えはどうするのかとか、いろいろありそうです。

サツマイモをエネルギー源として組み込む時に、順次都市ガスからメタンガスボンベに切り替えていくのが現実的でしょうか。

今現在も、全国の約半数の世帯がプロパンガスを利用しているようですので、そういった家庭は、ガスの備蓄を考えるのも有りかと思うのですが。


 ちなみに、オール電化でいいんじゃないかという話もありますが、個人的には、一つのエネルギー源に頼るのはあまりよろしくないと思っています。


ではでは

メタンとライフライン

ライフラインとしてのメタンについて考えた話です。

 

 
サツマイモのメタン

 前回の記事で、温暖化対策としてサツマイモをエネルギー源にするのはどうかという話を書きました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

その中で、サツマイモを発酵させることにより、エチルアルコールと共に、メタンが得られるので、発電が可能になり、さらに、メタンそのもので煮炊きも出来ると書きました。

この煮炊きの部分については、以前TVで、家畜の糞尿から発生するメタンガスを台所に引き込んで、煮炊きに使っているのを見たことが有ったのが記憶に残っていたので、こう書きました。

記事を公開した後で、現状のライフラインとしてのガスの代替として大丈夫なのか、少々心配になったので調べてみました。

都市ガスの天然ガス

 調べ初めてすぐに杞憂だということが分かりました。

代替としての可能性を調べるために、先ずは現状の都市ガスについて調べてみた所、答えはすぐに分かりました。

現在の都市ガスの主成分はメタンガスだったのです。

勿論、都市ガスが供給しているのが天然ガスだというのは分かっていましたが、その成分までは深く考えたことも無く、天然の様々なガスの混合物だろうぐらいにしか考えていませんでした。

天然ガス」という秀逸なネーミングに騙されたとは言いませんが、思考が止まってしまっていた感じでしょうか。

実際には、約90%がメタンで、残りがエタン、プロパン、ブタンという感じのようです。
ちなみに、プロパンはご存知プロパンガスで、カセットボンベに使われているのがブタンだそうです。
エタンに関しては、化学工業での原料としての利用が主なようです。

メタンを使う時には

 という事で、サツマイモをエネルギー源としても、生成したメタンガスは、現状のライフラインをそれほど変更することなく利用出来そうです。

ただし、前回の記事で提案した、実証実験(イーモンシティ)を行う時には、やめる時の事も考えて、プロパンガスのボンベによる供給を代替する形にした方が良いかもしれません。

都市ガスのシステムを変更するよりも、ボンベによるプロパンガスの供給に戻す方が問題が少ないと考えられるので。

メタンガスで発電もすることになるので、オール電化でもいいわけですが、停電した時のタワーマンションでの事例などを見ても分かる様に、ライフラインは複数あった方が良いので、ガスも利用した方が良いでしょう。


それにしても、調べながら、やっぱり化学は苦手だという事を再認識させてもらった話題でした。


ではでは